わたしたちは、どこから来て、どこへ行くのだろう。
今も昔も、わたしたち人類にとってこれは永遠の問いだ。
このことを完全に知るには、タイムマシンが必要だが、自分の頭で何があったのかを想像することはできる。
そのとき、道標となるのは現代に残された、大昔の人々の生活の痕跡だ。
現代に残された太古の痕跡から、わたしたちのルーツを考えてみる。
AMOTOの目的のひとつは、日本に残された遺跡や神社から、ルーツを探る思考の旅をすることだ。
今回はその初回…ということでわたしたちの文明のはじまりについて少し考えてみようと思う。
ユーラシア大陸における農耕と文明のはじまり
ユーラシア大陸西部・ユーフラテス川沿岸、シリア・ダマスカスの北東約290kmの地「アブ・フレイラ」
今から約1万年前…最後の氷河期のまっただなかに農耕が行われていた痕跡がこの地にある。
そして最後の氷河期が終わり、やがてこのあたりで農耕文明が栄えた。
メソポタミア。ユーフラテス川とチグリス川の間に広がる大地…そこには、今では信じられないほど肥沃な土地が延々と広がっていた。
人々は、無限と思えるほど広大な大陸の大地をひたすら農地に変えていった。
6,500年前頃までには、メソポタミアの肥沃な土地の殆どは農地に変えられていたという。
しかし農耕が広まるにつれて、問題が起こるようになった。
開墾されて植生の被覆を失った土壌は侵食され、養分に富む肥沃な表土は次第に侵食される。
表土を失って農地が痩せると、人々は痩せた土地を放棄して新たな土地を開いていった。
そして、新たに開墾できる土地が少なくなると、土地をめぐって人間同士の奪い合いが起こるようになった…。
次々と自然から収奪し、人間からも収奪する…。それを可能にし、生き残るために強固なピラミッド型の社会が形成される。
メソポタミアーユーラシア大陸に芽生えた文明ーは、広大な土地があるがゆえに、収奪をベースとした弱肉強食のテンプレートの上に形成されていった…というわけだ。
それでは、視線を足元に向けてみよう。
わたしたちの国では、大陸とは少しばかり様相が違っていたのではないか…と思う。
遺跡の存在からわかる、大陸とは別系統の「日本文明」
北海道南部の渡島半島にある垣ノ島遺跡。ここには今から約9,000年前に人間が定住していた痕跡がある。
集落跡のほか、墓もあり、このことから人々が何世代にもわたって同じ場所で暮らしていたことがわかっている。
また、青森県の三内丸山遺跡では大規模な集落跡が発見されている。
この遺跡は今から約5,000年前のもので、ここからは6本の太い柱をもつ大きな構造物の跡も見つかっている。
これらの遺跡では美しい装飾のある土器や土偶、翡翠や琥珀でできた装飾品などが出土しており、人々が立派な文化を持っていたこともわかる。
ちなみに翡翠は遠方の産地で取れるもので、交易等によってこの地に運ばれた…と推測されているものだ。
つまり何が言いたいのかというと、今から約9,000年前には日本にはすでに人が定住していたということ。
そして装飾のある土器をつくったり、交易をしたりしてすでに文化を持っていたということ。
このことからわかるのは、ほぼ同時期に発生したユーラシア大陸の文明と日本文明は時間的に並列関係にある…ということだ。
ともすれば、今までの通説でよく言われる、日本の文化や文明は大陸からもたらされた…という話は疑わしくなってくる。
日本では太古より、ユーラシア大陸とは別系統である独自の文化・文明が育まれてきた可能性があるのだ。
太古の日本における社会のあり方を今に伝える神社
ユーラシア大陸と日本は、そもそも文化・文明のルーツが違う。
ユーラシア大陸では自然や人からの収奪をベースとし、それを可能たらしめる強固なピラミッド型の社会を築いてきた。
そうでなければ、弱肉強食の大陸では生き残れなかったからだ。
そんなユーラシア大陸では、文明は常に勃興を繰り返してきた。いくつもの巨大な帝国が現れては消え、どれだけ栄華を極めた帝国も今はひとつも残っていない。
創造と破壊…それがユーラシア大陸における文明の作法だった。
一方、日本では太古より延々と歴史を繋いできた。これは多くの日本人は異論がないことだと思う。
小さな島に閉じ込められた人たちにとって土地は貴重なものだし、互いに争っていては自滅してしまう…。
ここが広大な土地があり、様々な人々がいるユーラシア大陸と大きく違うところだと私は思う。
ゆえに、収奪のための強固なピラミッド型の社会は形成されなかった。
いまの日本でも横並び意識が強く、飛び抜けた大富豪がほとんどいないのはその名残りなのではないか。
そんな日本で、大昔にはどんな社会が形成されていたのだろうか。
それを垣間見れるのが、太古より伝わる神社である。
神社と言っても全国に無数にあるが、今回はその中から「元伊勢内宮皇大神社」をご紹介したいと思う。
ここはその名の通り、かつてアマテラスがいたとされる場所だ。
アマテラスといえば天皇家の祖とされる神様で、太古の日本においても王だった人物であると考えられる。
そんなアマテラスが、どのような形で祀られているのか…。そこに太古の日本社会の様子を垣間見ることができるのではないかと思う。
それでは、周囲を全て見ることができるVR動画で元伊勢内宮皇大神社を一緒に歩いてみよう。
元伊勢内宮皇大神社を動画で訪れる
いかがだったでしょうか。アマテラスがいる本殿をぐるりと取り囲むように摂社があった。
これが全部「人」だったと想像してみることはできないだろうか。
王であるアマテラスを囲むように人々がいるというわけだ。
しかも王であるアマテラスが居る場所にしては、あまりにもこじんまりしている。
太古の日本では十分立派な建物だったのかもしれないが、王の座所という感じが全然しない。
一方、ユーラシア大陸はどうだろうか。
圧倒的な権力を持つ、たった一人の王や皇帝が荘厳な宮殿の上から群臣を見下ろす…。
しかもその宮殿は、雄々しく圧倒的に巨大で、多くの人々から富と労働力を収奪して建てられる。
私はここに日本とユーラシア大陸の違いを感じずにはいられなかった。そもそも社会のテンプレートが違うのだ…と。
わたしたち、日本人…ひいては人類が幸せになれるのは、はたしてどちらのあり方であろうか…。
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